マナー 

     

 弔問・会葬などにもさまざまなマナーがあります 地域によっても違いがありますがご参考ください。 詳しくはお問合せ下さい。
 祭壇3号例
 (友人・知人の場合)
 故人が安置してある部屋に招かれたり、すでに祭壇ができていて招かれような場合は、まず霊前に線香をあげてから喪主や遺族に挨拶をしなるべく早めにするようにします。但し、人手不足で忙しそうでしたら手伝いを申し出てみるのもよいでしょう。葬儀や告別式の日時の入った死亡通知を受け取ったり知らせを受けたり、新聞広告などで知った様な時は、通夜か告別式のどちらか都合がつく方に出席いたします。昔は、通夜は遺族と近親者、ごく親しい友人程度で営まれ、それほど親しくない関係の方は遠慮をしたものでしたが、今では、一般弔問客も「告別式には都合が悪くて行けないから、通夜には出席しよう」という様になっているようです。
(近所づきあいでしたら)
近所づきあいがある場合はとりあえず玄関さきだけの弔問に行くようにしましょう。一人ずつバラバラに行くよりも何人か誘って行くほうがよいでしょう。ごく親しい間柄でしたら手伝いを申し出てみるのも良いかと思われます。雑用なことで役に立ったりするのも良いと思われます。
安置されている故人
(故人と対面するときは)
弔問にかけつけて故人が安置されている部屋や式場などに招かれ遺族から「どうかお別れをしてやってあげてください」といわれた時は、謹んで対面をしましょう。
また対面の悲しみに耐えられないと思うときは「今の私には、あまりつらいことで」「悲しみで取り乱しそうですから・・・」等と素直にいって辞退の許しを乞う場合もあります。
(喪章と数珠)
喪章は、喪に服している方がつけるものですが、最近では、平服で参列する方が弔意を表すため、喪章やリボンをつけるのが一般的です。数珠は通夜、葬儀告別式、法要などの仏式の儀式に参列する時に持参するのですが、一般参列者の場合は、信者でない限り、持たなくてもよく、当然キリスト教や神式の葬祭には、数珠は持参はいたしません。
(お悔やみは短く)
通夜の儀式は、宗教的な儀式ではなく、火葬や埋葬の前夜に遺族や近親者によって営まれる慣習的な行事だったといえます。それゆえ表の儀式である葬儀に比べて雰囲気も親しみやすく、読経の前後の喪主や遺族にお悔やみの挨拶をし自分の気持ちを伝える機会もあったりします。俗にお悔やみの挨拶の言葉は「短いほどよい」といわれ「この度は本当に思いがけないことで・・・」「本当に残念でなりません」などあとの言葉が続かない場合が多いものです。遺族と対面した時、心に深い哀悼の意があれば「このたびは・・」だけでも十分に気持ちが通じると思われます。
 (お悔やみの挨拶)
喪主か遺族の中心的な方に述べますが、喪主や遺族が応対できない時は、親族か世話人的な方やとりあえずの弔問でしたら受付の重立つた方に挨拶をするようにします。■一般的な挨拶例「このたびはまことにご愁傷さまでございます。心からお悔やみ申し上げます」「このたびは、まことに思いがけないことで」「突然のことで、お悔やみの申し上げようもございません」「どうぞお力落としなさいませんように・・」■遺族への挨拶例「思いがけないお知らせを受けて、まだ信じられない気持ちでございます」「ご病気と伺っておりましたが、こんなことになろうとは・・残念でございます」「お仕事のうえでも、まだまだこれからという時に」「お力になれることがありましたら、何なりとお申しつけ下さいませ」「皆様、どんなにお力落としでございましょう」
(弔事の忌み言葉)
友引の日は弔事の「忌み日」とされていますが、同じ意味で弔事の「忌み言葉」とされているのが重なる言葉です。「かさねがさね」「かえすがえすも」「たびたび」「またまた」「じゅうじゅうに」などのくり返し言葉のほか「再三」「追って」「重なる」なども嫌われる言葉です。不幸が重ならないように・・という願いを込めて生まれた一種の申し合わせ的なきまりごとですが、知っておきたいマナーのひとつです。
(焼香する意味)
焼香 焼香はこの世に釈迦が生まれた時以来、二千五百年も続けられてきたといわれています。発祥地のインドでは、体臭を消し心を清らかにするものとして用いられました。香はたくものだけではなく、塗香といって手や体に塗る香もあり、それによって心体を清めてから仏や尊者の前に出たわけです。日本では霊前を清めるとか敬虔な心を捧げて供養をするという意味合いで行われています。更には、一同に集まって一人ずつ全員が香をたき同じ悲しみを分かち合って故人の冥福を祈るともいえるでしょう。一般的には葬儀や告別式などの儀式用には抹香(粉香)をたき、通夜や法事などには線香と抹香をあげることが多いようですが、通夜の時に線香と抹香の両方が置いてあったならば、個人で別々に礼拝するときは線香をあげ、行事が始まって僧侶の読経中に焼香する時には抹香をたくと思っていればいいと思います。
(香典について)
香典は、供物として霊前に捧げられる香の意味でしたが、香や供花などを供える代わりに金銭を包むようになったのが香典です。今日では霊前に供えられる現金のことを香典といい、香を使わない神式やキリスト教の場合でも広く香典と云われています。本来は葬家の葬儀費用を少しでも軽くしてあげたいという相互扶助的な意味と故人に対する感謝や惜別の気持ちなどをこめて、遺族と悲しみを分かち合うとする一つの意思表示です。そこで問題になるのが金額ですが、故人との関係や親しさの度合い、故人や弔問する側の社会的地位や経済状態によって違ってきますし地方によって差があります。俗に「香典は心づもりより多め」などといわれていますが、少なすぎて失礼ですし、多すぎても遺族にとって気がねになります。金額が少ないと思った時は、労力を提供するなどほかの方法で遺族に尽くすこともできます。